余生は山中湖で暮らした。三浦環のお墓は山中湖の寿徳院にある。一度書いた(ここ)。三浦環 - Wikipedia: "三浦 環(みうら たまき、1884年(明治17年)2月22日 東京府 - 1946年(昭和21年)5月26日)は、おそらく日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて、国際的に有名だった。元の名は柴田環(しばた たまき)、次いで藤井環(ふじい たまき)といった。"
国際的なプレマドンナだったが、その活動はほとんど海外でのもの。日本では彼女の評価はそれほど高くはないようだ:
三浦環 - Wikipedia: "声質は様々に言い伝えられており、「どこかか細く頼りなかった」とするものや、「どちらかといえば声量は少なかったが透明感があった」とするものがある。また声楽家の藍川由美は自著『「演歌」のススメ』の中でレコード録音された三浦の演奏を聴いて「歌詞の発音や発声法、音程、リズムなど、どれをとってもけっして褒められたものではない」と評し、日本人のなかにある「三浦環 世界のプリマ伝説」に対し疑問を呈している。"
藤田嗣治と同じで、ニッポンでは「国際的に有名」な芸術家は、同業者から妬まれてしまうのかも知れない。
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